自己紹介を兼ねてご自身の経歴をざっとお願いします。
芹沢健一です。
ヒクソングレイシーと同じ11・21生まれ(笑)、沼津市今沢出身。
和術慧舟會駿河道場代表、元パンクラスウェルター級3位。
昔、狂犬、今おじいちゃんと呼ばれてます・・
格闘技を始めたのはいつですか。
15歳高校1年の時、沼津学園高校(飛龍高校)に入学時にボクシング部に入りました。
その頃は体も弱くて小さかったですね。身長160cmもなくて体重も50kg前後じゃなかったかな?
クラスの背の順で並ぶと前から何番目って感じですかね・・1年持ちませんでした。
とにかく全てにおいて弱かったです。精神 的も肉体的にも。マイナス思考でいつもいい訳してました。
芹沢さんは勝っても負けても精神的強さの部分で評価されているんですが意外ですね。
そうですね、昔の私を知っている人は今の私を見たら驚きますね。
あの頃とは全くの別人のつもりです。
小さい頃はどんな子供だったんですか。
とにかく病弱!ぜん息、アトピー、鼻炎、しょっちゅう風邪ひいて寝込んでましたね、性格は 短気でよく切れてました!
でも小学高学年くらいになるとみんな体も大きくなるし力関係が出来てくるんじゃないですか?
そこからは一転 いじめられっ子まではいか ないですけど、そうゆう部類でしたね。
本性は決しておとなしくないんですが、すっかり負けぐせがついたというかネガティブでしたね。
今のイメージとは全然違いますね。格闘技をやろうと思ったきっかけは?
よくある話ですが仕返しです。復讐。僕を馬鹿にした奴らに仕返ししたい、後は父親を殺したい・・ でしたね。
両親は離婚したんですが、暴力が酷くて母親もよく殴られていたし僕も弟も父親が 仕事から帰ってくると隠れてましたね。自分より弱くて小さいのにしか当たれない人間なんですよ。いわゆる 弱い者虐めですけど、母親の頑張りと自分の経験や仲間の影響でここまで来れましたね。
重いですね・・今はマイナスでない独特の雰囲気持ってますが・・・
年もとったし丸くなりましたね。あとは経験が自信になった。
中途半端な田舎でプロになりたいとか全く想像できなかったけど、ただ家と仕事の往復で趣味 はパチンコとか車とか?
そうゆう人間じゃなかった。今も貧乏していますが毎日楽しいし一日一日なんかしら変化を感じれるし・・
そうゆう感受性みたいなものはあります。ボケーっと当たり前には生きていないですよ。
自慢出来る事って水がうめぇ〜とか今日もめし食えて良かったとか、空がキレイ だなぁと感じれるところですよ。
単調な単純の生活をしている人にはわからないでしょうね。
まさに私のことですよ!
って気付けばいいんです(笑)その時点でスキルアップしてると思いますよ。
いろんな人と出会い、話して、行動すれば、何事も楽しめる人間になると思いますけど・・
動くのをやめた時点で成長はないですよ。
そうですね、では芹沢さんをそこまで考えられるようにしてくれた格闘技について、ボクシングをやめてからは。
目標も無く学校も面白くなかったですね。辞めようかなと思ったりもしました。 その時レスリング部ができて入りましたが赴任してきた先生が日体大を卒業してのオリンピック候補のバリバリの現役だったのでとにかく練習はキツかったですね。練習はとにかく辛くて最初は40人くらいプロレスと間違えて入ったけど結局6人ですか?そこまで減りましたね。
そのくらい厳しい 練習で したが、ここで辞めたらまた同じ失敗をしちまうって耐えましたね。
母親の顔が浮かんで続けました。
個人的な戦積は全く無いです。高校は日本一にまでなったようですが・・・
格闘技をやりたいのがあって仕事を転々としていました。
いい大人にもあまり出会わなかったのも仕事より格闘技!ってなった理由ですね・・田舎だからか似たような人しかいないんですかね?自分も変に人に対して壁を作ってたんでいい人に出会えなかったんですね、多分。そうゆう部分で突っ張ってたんで浮いてたと思います。
そして総合を見よう見まねで始めました。その頃はテレビでもやってなくて、ビデオや雑誌などを見て技を研究したり。
元々プロレスが好きでやっぱりタイガーマスクです。でUWFで修斗やパンクラスですね。
そのテレビで見ていたパンクラスでタイトルマッチ(2002・11・30)まで登りつめたんですね。
見る側から見られる側になって、これはすごい変わりようですね!
ずっと夢見てはいました・・・が思っていただけで行動には移せなかった。
30歳まで煮え切らなかったですが30歳にして行動しました。
もっと早く決断できたらと半分は思いますが無駄や後悔があるからこそ今が幸せだと実感できるのも感じます。
いつプロに昇格したんですか。
30歳です。26歳から遊びでやってて慧舟會を名乗ってから10年近くですか。プロになってからは6年です。
格闘技暦はもう20年以上・・・遅いデビューでしたがいつのまにって感じで今に至ってます。
とにかく時間が早かったですね。
芹沢さんが沼津にいた頃の仕事と練習生活はどんなだったんですか。
普通に会社員で昼間は働いて夜練習する今の会員さんと同じ環境でした。
当時は今のような環境も教えてくれる指導者もなくビデオや雑誌を見て練習をしていました。少年レスリングの指導や極真空手もやっていて時間の無い中で合間に練習したり市民体育館での週一回の練習が楽しみでした。
初めて出たアマチュアの総合の試合がたまたま慧舟會で今思うと運命的というか自分が活きる選択をした一歩だったと思います。その時にGCMの久保社長に東京に来てプロを目指さないかと言われました・・
重い話になりますが当時結婚してまして、当たり前ですが家庭を理由にお断りした所、じゃあ沼津支部で活動すれば?みたいに次の月の格闘技雑誌に慧舟會沼津支部設立!と勝手に載せられちゃいまして(笑)今になると濃密な時間を経験しましたし、もしこれがなかったら言い訳しながらホントは俺は・・みたいにいじけて生きていたと思います。
東京に行くきっかけは挫折と失敗です。
離婚もそうですし仕事を辞めて公私共に最悪が重なった時期でした。元々黙って我慢してるサラリーには疑問でしたし実際余計な事言っちゃうんですよね。我慢できる人や諦めてロボット化してる人が羨ましかったですね、逆に(苦笑)。
自分がそうなっている事にすら気づいてない人もいるし‥。
いろんな仕事をしましたが円満退社ってヤツは一回しかないです。確かなものも実績もなかったのに常にこれでいいのか?って考えるばかりで頭でっかちでしたね。今は失敗したとわかった事は多いしこうって笑って話できるようになったはその失敗を活かして少しは成長してるからじゃないですかね?
駿河道場を常設するにあたってメリットは。
正直、道場の事を抜いて言えば人口も減ってて街も元気が無いし・・・常設出すような計算は出来なかったけどいろんな人が協力してくれて・・・自分で計算していたのより予定外の早さで決まりましたね。その分バタバタもありますが。
それに地元在住のプロが出たのが大きいですね。私が留守中ずっと駿河道場を支えていた山崎選手。新鋭の山下選手。最近は室伏選手が圧倒的強さでアマチュアトーナメントを優勝してプロに昇格しました。
もう東京じゃないとプロ目を指せない訳じゃないし十分環境も素材もあるし、沼津で始まったものだしそれを大きくしたい のは必然的でしょう?
毎日練習できて設備も整えて看板だせば選手や会員もやる気になるだろうし第二、第三の逸材も出てくるかもしれない。施設借りてサークル的には限界があるだろうし・・それとこの街の状態は見ていられないですね。
少しでも活気が出ればいいなと。自分の田舎を無力ながら盛り上げたいと思えるようになりました。
東京に行ってなにがかわりましたか。
考え方。いかに考える力がなかったかと。
日本中、世界中からいろんな奴らが集まって刺激になったのは勿論ですが沼津で30年間生活していたのがあまりプラスじゃなかったんだなと確信しました。 私をうまく成長させてくれる人もコントロールできる人も殆どいなかったですね。今でも精神的に影響受けているのは極真の大石大悟師範だけですね。
あとは師範を支える先輩方には勉強させてもらってます。
東京での生活は5年位しましたが30年間くすぶっていたものや、マイナスを全てひっくり返せましたね。
今は周りの雑音も気にならないし復讐もどうでもいいやって感じです。いい意味で好き勝手に生きてます。
沼津に帰ってきて感じたことはありますか?
言い方良くすれば大人しいですけど自分の言いたいことや主張を表現するのが下手ですね。
こんなこと言ったら不味いかな?みたいないい意味じゃなく人の事ばかり考えてなにも動けない。知らない物には壁作って。知らないからなんだろう?じゃないんですよ。
沼津でやりたいことは?
ここに来る人はなんでも楽しめるような思考にしたい。それにするには勿論厳しさも必要です。
男も女も子供も年寄りも、警察もヤクザもこの場所に来たらただの一会員。
どんな人間もいい影響を及ぼすプラスを持っています。それを引き出してあげたい。
道場?GYMって言っても練習だけじゃなく、暇だからテレビ見に来たとかしゃべってるだけでもいいと思っています。
練習だって強制じゃないし疲れたら休んでくださいよ、楽しくなるまでやんないでって感じですが最後に頑張るのは自分ですからね・・締めるところは締めないとね。そうゆうの判る人、大人も子供も関係なくだらしない人はいくつになろうと馬鹿ですから精神的、社会的な進歩もして欲しいです。
楽しいたまり場にしたい、そこにいろいろな人がいたらおもしろい。だからこそ最低限は守って欲しいですね。
強さを求めるならまたやり方は違うのでそれなりの努力はしてもらいますしさせます。
これからの駿河道場の方針や道場生への思いや期待はありますか
まず楽しんでくれと。まずそれがないと次がないですね・・・
私は根っからサラリーじゃないんで思いますが金払ってるんだし元取れよと。
自分の居易い場所を自分で考えて作ってくれと・・・
欲の無い人間じゃ駄目だけど楽しみたい、上手く、強くなりたいって欲が有れば考えれますよ。こちらも皆さんが楽しめるように努力しますがこの地で初めてのことなので不手際もあるし手探りなんでみんなで作っていきたい。その時は発言、助言してくれと。こっちの人は大人しいからそこだけ心配ですが自分の居場所を良くする為にお願いしたい。
あとはこれも当たり前の事なんだけど挨拶や礼儀、元気良くとか自分の考えを口に出せるようにとか小学生みたいな事だけど大人も子供も関係無く。今の人はこれが欠けているから・・みんなで成長して欲しい。これは私も含めてです。
シンプルですが欠けてるかもしれませんね・・・
でもプロになりたいとか、ダイエットしたいとか目的がある人はそれなりに努力や忍耐が必要ですよね。
やっぱ楽して美味しい物は喰えないですよ。今までの日本・・沼津なんかまさに「ヌルイ」んですよ。人も土地も。
あと信念か・・やるのは自分だし最後は自分なんですよ。
やり方は教えますが肉付けしたりやるのは自分でしてください。
なんでも当たり前じゃなくて考えて、行動して生きて欲しいですね。
では最後に一言。
楽しんでください。モジモジして人が声掛けてくれるの待ってるよな?依存しないでくれと。
とにかく見て聞いて、口を開いて行動しろと・・
いろんな活用方がここには転がってますよ。いろんな意味で強く、豊かになってください。
ありがとうございました。